NOTES 何もない僕

ここでは、暗闇の中にある一点の小さな光を見つけようとする姿を表現していく。

死ぬ為に生きる

このままだったら死に切れない。

人生が限られた時間だって痛い程解った時、

今自分のいる場所は

明らかに違うと思った。

もっと正直に生きたい。

素直に生きたい。

ここは違う。

僕のいる場所は明らかに違う。

生きる為にここに来たが、

だったら死ぬ為に生きた方が

死が訪れても悔いはない。

自分が自分である証が

そこにあるのなら

本当の僕の姿はここにはいない。

この考えは生きづらさを産むかもしれない。

社会はその価値にしがみついているが

時代はその価値を抱えていない。

もっと自由に生きるんだ。

僕が僕として生きる為に、

死ぬ為に生きるんだ。

それが生きる意味なのさ。

 

* * 解説 * *
 何の為に生きるかっていうことをずっと考えていた。人の為とか、何かの為にってずっと考えていたけど、結果としてそれは自分の為なんだよね。人の為になる事が自分の為になる、とかね。でも、自分の為が人の為になるっていうのもある。方向性は違えど、どちらとも同じなんだよ。結果として自分に繋がるかどうか。
 死にたいとは思わないけど、生きたいとは思わないっていう精神状態が続いていて、生きてる心地がないんだよね。それはきっと何か違うんだと思った。その精神状態を掘り下げて、生きる為に生きるって事も間違いではないけど、それで生き甲斐を感じれるかっていうと、そうでない人もいる。僕は死んででも良いから、自分のやりたい事をしっかりやって生きたい。例えそれで生きる事が出来なくても。それで死ぬのなら悔いはない。その気持ちに痛い程気付いて、詩にしたんだよ。社会の中ではとても生きづらい考え方なんだけどね。
 「死ぬ為に生きる」って言葉には矛盾を感じるかもしれない。死んだら元も子もないよって。でも、人間は生きている限り、死は避けられない。死は絶対。そう思った時、失うものなんて何もないんだっていうことを誰か言っていたような気がする。「どうせ死ぬんだったら」って開き直りは悪を犯さない限りあっても良いと思う。悪を犯さない限り、ね。
 つまり、時間は限られているんだよ。そして、やれる事も歳と共に限られてくる。惜しんでいる暇なんてない。とにかく、自分を突き進まなければいけないんだよね。